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本から元気をもらおう!本気モード

 当社がお世話になっているコンサルティング会社に所属する「“元祖”朝礼コンサルタント!」が、ビジネス社会で生きていくヒントになり、ビジネスのヒントに考え方が豊かになるような本の見所だけをご紹介していく・・・ から元をもらう! 「本気モード」

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第181回 『禅「心の大そうじ」』 枡野 俊明著 三笠書房

■■ 所感 ■■

著者の本は、昨年「禅的シンプル仕事術」というのを読んで、とても良かった
ので、第2弾を読んでみました。

ちなみに、著者は神奈川県の鶴見にあります、曹洞宗徳雄山建功寺の住職で、
庭園デザイナー。
http://www.kenkohji.jp/s/japanese/career/career.html

読んでみての一言。

同じことがたくさん書いてあります。

禅の言葉は各種出てきますが、解説(?)の内容はほとんど内容が似たような、
いくつかに分類される…そんな感じがします。

と、こう書くと、同じことばかり書いてあってダメなように、批判をしているような
感じに聞こえてしまうかもしれませんが、そうではありません。

禅の極意というか、生き方の大切な部分、根っこの部分はいくつもない。
このいくつかを抑えていけば、誰が言った表現かはわかりませんが、成功せは
なく、各々が持つ、各々の本分の中での”成幸”を成せる…そんなことを教えて
くれている本だと思います。

表現は異なりますが…

”いま・ここ”であったり、”一所懸命”や
”あるものに感謝し活かす”、”己を活かしきる”、
”結果を求めず、ただひたすら”とか、”あるがまま”とか…

正直、わかっていてもでききれていない、でも知らないで行動しているよりも、
絶対に知って、頭のどこかで意識しながら日々行動しているのとでは全然違って
くる…そんな大切なことがたくさん書いてある本です。

先にも述べましたが、読んで行くと「さっきも似たようなこと書いてあったな」という
箇所に多く出会います。
でも、だからこそ、大切なことなんだと読んでいけると、きっと今以上にいい生き方
ができるキッカケになる本なのではないかと思います。

文庫で読みやすいですし、ぜひ読んでみてください。
おススメです。

==========================================================
●道元禅師はこんな歌を残しています。
「水鳥の行くも帰るも跡絶えて、されども路は忘れざりけり」
水面を行く水鳥は、あちこちへと泳いでいき、その跡はさざ波にかき消さ
れてわからない。しかし、勝手気ままに泳いでいるようでいて、ちゃんと
外敵への警戒も怠ることはなく、自分の本分を忘れずに泳ぎ続けている、
という意味です。

人生に紆余曲折はつきものです。ときには道を変えたり、寄り道したって、
ちっともかまわないのです。
(中略)
その時々にやりたいことを一生懸命にやっていけばいい。そのなかにきっと、
自分の本分(本当の姿)があらわれているのです。

●禅では日常生活のあらゆる場面、生きている一瞬一瞬、人生の歩みの一歩
一歩が、すべて”道場”だと考えます。だから、行住坐臥(ぎょうじゅう
ざが)、つまり、日々の振る舞いの一つひとつは”修行”なのです。
(中略)
それを端的にいっているのが「歩歩是道場」という言葉です。
(中略)
一つひとつの行動に、心を込めて真剣に向き合う。気を引き締めて必死に
取り組む。それ以外に、あなたの道場を活かしきる方法はありません。

●平等というと、全員が等しく同じでなければいけないと思う人がいるかも
しれませんが、それはちょっと違う。
(中略)
自分の持っている力や才能を、それぞれが存分に発揮する。それが平等で
す。
(中略)
10人いれば10人とも力も能力も違うし、立場だって違います。
自分が今いるところで、自分の分をしっかり見据え、存分の力を出し、持
っている才能を活かせば、それでいいのです。
(中略)
人は人を貫き、吾は吾を貫く。その平等を壊しているのは、もしかして、
吾を貫かないでいる、あなたでは……。

●自分が本当に輝ける場所は、見つけるものではなく、つくり出していくもの
です。今いる場所の外よりも、今いる場所を見つめ直してみてください。

●どんなに努力しても、どれほど善行を積んでも、それが果報(結果)を期待
したものであってはいけない。禅の行為は無心無作(むしんむさ)であって
こそ本物だ、というのが達磨大師のいわんとしたところです。
評価や結果は他人が決めることです。自分ができるのは、ただ一生懸命になる
ことのみ。結果がついてきたらそれでいいし、ついてこなくてもまたいい。

●「災難に逢う時節は災難に逢うがよく候」は、良寛さんの言葉です。
(中略)
苦境も同じで、逃れようがないのに逃れようとするから、苦しくなるのです。



■■ 心に残った箇所 -本書より抜粋- ■■

●私の好きな禅語に、「歩歩是道場」というものがあります。
なにも特別な修行をする必要はない。食べることも寝ることも、人生を
歩んでいるその一歩一歩が修行だということを、この禅語は教えて
います。

●今この瞬間、自分が生きている。「それだけですごいじゃないか!」と
思える。その”すごい自分”を真剣に、そして、淡々と生きたらいい。
禅の心に沿った肩の力が抜けた生き方とは、きっとそんなものだと思う
のです。

●寺や神社をお参りする際、本堂や神殿に行く前に手や口をすすぎますが、
それは同時に心を清める所作になっています。
(中略)
日常生活でも心を洗う所作を決めておいたらどうでしょう。
たとえば、食事の前にそっと手を合わせるとか、起きたら窓を開けて
朝の大気を胸いっぱいに吸い込むとか。たったそれだけで、気持ちが
シャキッとして心地よくなる。
そんなあなただけの”洗心法”を持っていれば、仕事で心が疲れてしまい
そうになっても、日々の色合いが新たに変わっていくはずです。

●今やっていることが、一番大事なのです。過去を引きずることはないし、
未来を憂えても仕方がない。目の前の”今”に打ち込むことが、一つの
禅的な生き方です。

●禅語は「平常心是道」と教えます。日々、当たり前のことを当たり前に
やっている心こそ道であり、悟りもそこにある、という意味です。
茶人の千利休も、茶の湯について「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を
点てて飲むばかりなるものとこそ知れ」という言葉を残しています。
(中略)
命を込めるとは、ひたすら取り組むこと、といってもいいかもしれません。
(中略)
「何かのためにする」「これをすれば何かが得られる」などと、とらわれ
ることなく、目の前のことに集中して自分を投げ込む。そこに飾らない
自分の姿があり、その心こそが「悟り」でもあるのです。

●上昇志向が悪いというのではありません。
その前にまず、今を「ありがたい。もう、十分だ」という気持ちで受けと
めればいい、ということです。その心持ちでいたら、むやみに周囲に惑わ
されることもなく、いつも心が豊かで充実した生活が送れるはずです。

●世間で多く言われていることより、自分の感性を信じて行動してみる。
きっと、それまでにない自由さを感じるはず。

●典座(禅寺で食事を司る役職)の心得として、道元禅師は「三心」をあげ
ています。
まず、喜心(きしん)はこの世に生まれて、今その立場にあることをあり
がたいと思う心。
老心(ろうしん)は親が子どもを気遣うように、あるいは、老婆をいたわ
るように、自分自身を措いてでも、まず相手のために何かをしようとする
心。
そして、大心(だいしん)は大山のようにどっしりと、大海のように悠々
と構え、一切の偏りや固執するところがない心。

●悟りを開く道などない、一杯のお茶を飲むときは、ただ無心にお茶を飲む
ことに集中している。何でもないこと、当たり前のことを、他に気をとら
れることなくひたすらやる。それこそ、もう悟っていることなのだ━━

●道元禅師は修行先の宋から戻られたとき、朝廷から「何を持ち帰ったか」
と問われ、「眼横鼻直、空手還郷」といわれました。眼は横に並び、鼻
は真っ直ぐについている。そのことがわかったから、何一つ持たずに帰っ
てきました、というわけです。
眼は横、鼻は直なのは当たり前。しかし、それは人間が望んだからそうな
ったのではありません。宇宙の理、仏さまのはからいで、そうなっている
のです。
こと人間だけでなく、万物はありのままの姿で安住しています。そこに気
づくことが悟りの境地なのだ、と禅師はいっているのです。
揺るぎないものを探す必要などありません。自分が今ここに”いる”こと
が、実は「すごい」と気づけばいい。「ありがたい」と感謝したら、それ
で十分なのです。

●道元禅師はこんな歌を残しています。
「水鳥の行くも帰るも跡絶えて、されども路は忘れざりけり」
水面を行く水鳥は、あちこちへと泳いでいき、その跡はさざ波にかき消さ
れてわからない。しかし、勝手気ままに泳いでいるようでいて、ちゃんと
外敵への警戒も怠ることはなく、自分の本分を忘れずに泳ぎ続けている、
という意味です。

人生に紆余曲折はつきものです。ときには道を変えたり、寄り道したって、
ちっともかまわないのです。
(中略)
その時々にやりたいことを一生懸命にやっていけばいい。そのなかにきっと、
自分の本分(本当の姿)があらわれているのです。

●行く雲も、流れる水も、自然に逆らうことなく、すべてまかせきって漂い、
移ろっていく。
(中略)
私たちも、「自分はこのままでいいのだろうか」などと、今かかわって
いること、やり続けていることを疑っても仕方がありません。自分を信じ
て、そしてまかせきったら、おのずから結果はもたらされます。

●禅では日常生活のあらゆる場面、生きている一瞬一瞬、人生の歩みの一歩
一歩が、すべて”道場”だと考えます。だから、行住坐臥(ぎょうじゅう
ざが)、つまり、日々の振る舞いの一つひとつは”修行”なのです。
(中略)
それを端的にいっているのが「歩歩是道場」という言葉です。
(中略)
一つひとつの行動に、心を込めて真剣に向き合う。気を引き締めて必死に
取り組む。それ以外に、あなたの道場を活かしきる方法はありません。

●道元禅師は繰り返し、お寺の食事一切を賄う典座の素仕事の大切さを教え
ています。
「米一粒といえども無駄にしてはならない」
これは典座の基本的な姿勢をいったものでしょう。米は仏さまの恵みであ
り、修行僧を支えていくもの。だから、大事に大事に扱わなければいけ
ない。
(中略)
禅師は米を象徴的なものとしてあげていますが、(中略)
自分の生活を振り返って、この程度のものなら、いくらでも換えが利くな
……などと考え、疎かに扱っているものはありませんか。疎かに扱うこと
は、そこに自分の命を注ぎ込んでいないということです。それでは、生き
ている甲斐がありません。

●僧侶が米や野菜をつくる作業は「作務」と呼ばれ、坐禅にも匹敵する大事
な修行とされました。畑に出て作務を行うことは、自然とふれ合うことで
あり、自然に満ち満ちている命と向き合うことでもありました。それが、
自分の命を見つめていくことにつながっていたのでしょう。
(中略)
日常行っていることすべて作務だと考えてみてはどうでしょう。
ささいな行為が命を見つめることになるなら、小さなことだって疎かにす
る気にはなれません。姿勢を正して食事をいただく、心を込めてそうじを
する……。これだけで、生活が変わります。

●「自分は生かされている」━━そこに気づくと、和みの大切さがわかって
きます。一歩譲って相手を立てる、自分の行動が相手に何をもたらすかを
考える。
(中略)
「梅花和雪香(ばいかゆきにわしてかんばし)」という言葉があります。
梅の花に降り積もった雪が織りなす美しい景色は、梅と雪とがともに本分
をまっとうしながら、なおかつ、和んでいるからこそ生まれます。
”生かされているもの同士が見事に生かし合う世界”がそこにあります。

●出発点は相手を認めることです。そして、自分がいいたいことではなく、
相手が受け入れてくれる言葉を探すことです。すると、相手を本当に思う
言葉が見つかる。
(中略)
言葉には傷つけることがある一方で、相手を癒したり、救ってくれたり、
励ましたりする力がある。その力を最大限に活かすのが愛語なのだと、覚
えておいてください。

●平等というと、全員が等しく同じでなければいけないと思う人がいるかも
しれませんが、それはちょっと違う。
(中略)
自分の持っている力や才能を、それぞれが存分に発揮する。それが平等で
す。
(中略)
10人いれば10人とも力も能力も違うし、立場だって違います。
自分が今いるところで、自分の分をしっかり見据え、存分の力を出し、持
っている才能を活かせば、それでいいのです。
(中略)
人は人を貫き、吾は吾を貫く。その平等を壊しているのは、もしかして、
吾を貫かないでいる、あなたでは……。

●現代が競争社会だということは否定しようがありません。だから、ライバル
と目する相手としのぎを削って、一歩でも先んじようとする。
しかし、禅語では「把手共行(はしゅきょうこう)」といい、信じる人と
ともに手をとって歩いて行くことを教えています。
(中略)
「あいつには負けない!」などと気張っていると、心が固まって、見える
はずのものも見えなくなります。そこに大きな落とし穴があるでしょう。
剥き出しの対抗心は何の役にも立ちません。寄る辺となるのは一緒に歩いて
いく友の存在です。きつく握っていた拳をほどいて、誰かに手を差しのべ
てみませんか。

●千利休の茶の精神をあらわしたのが「和敬静寂」という標語。茶の湯と禅の
真髄やこの四文字で表現されているといってもいいでしょう。それぞれの
意味は、
和…人にも自然にも和み、逆らわないこと
敬…すべてに敬いの心を持つこと
清…一点の塵も汚れもない清い佇まいと心でいること
寂…煩悩にとらわれず、静かで動かない心でいること、となります。

●「山は是山、水は是水」という禅語があります。
山は山として本分をまっとうしているし、水は水として本分をまっとうして
いる。それが一番自然で自由な姿です。
(中略)
大自然は山が山としてあり、水が水としてあるから、見事に調和がとれてい
ます。人間の社会だってそうです。それぞれが本分を発揮しながら、全体と
してうまく動いていく。堂々と本分のまま、自然に自由に生きたらいいので
す。

●茶の湯では、亭主、席、客、道具がまったく同じでも、それぞれが一回限り
のものと考えます。同じ茶会は二度とないため、全身全霊を傾けて準備を整
え、打ち水や活ける花、香や掛け軸にまで、できるかぎりの配慮を尽くします。
さて、私たちは一期一会の心を持って、相手と向き合っているでしょうか。
ふだんよく顔を合わせる人には、「また、会える」とタカを括っているところ
もあるでしょう。これでは、相手への思いが疎かになり、人間関係は希薄に
なる一方です。

●『真玉泥中異(しんぎょくでいちゅうにいなり)』

 どこにいても、どんな境遇に置かれても、自分を輝かせる手立ては必ずあり
ます。泥の中にあっても宝石が光を失わないように、私たちが本来持っている
輝きは、環境に左右されて消えてしまうものではないはずです。
(中略)
自分が本当に輝ける場所は、見つけるものではなく、つくり出していくもの
です。今いる場所の外よりも、今いる場所を見つめ直してみてください。

●禅の祖である達磨大師と二祖・慧可(えか)のあいだに、こんな逸話があり
ます。
慧可が「不安でたまらない、不安をとり除いてほしい」と大師に訴える。
すると大師は、「ならば、その不安にさせている心をここに持っておいで」と
いう。
慧可は、不安にさせている心が何なのかを探しますが、見つかりません。
そのことを告げると、大師はこういいます。「もう、安心しているではないか」
不安をつくり出しているのは、他ならぬ自分の心だったのです。不安そのもの
があるわけではない。だったら、心持ちしだいで不安を追いだすこともできる。

●どんなに努力しても、どれほど善行を積んでも、それが果報(結果)を期待
したものであってはいけない。禅の行為は無心無作(むしんむさ)であって
こそ本物だ、というのが達磨大師のいわんとしたところです。
評価や結果は他人が決めることです。自分ができるのは、ただ一生懸命になる
ことのみ。結果がついてきたらそれでいいし、ついてこなくてもまたいい。

●一本のバラも美醜という観点から見れば、美しい、萎れている(から醜い)と
いう見方になるのです。しかし、それを取っ払えば、美しいも醜いもない、
ただ自然に咲いているバラと受けとれるのです。

●『動中の工夫、静中に勝ること百千億倍』

●日常の行動も何もかも……一切合切を含んで、遊戯とあらわしています。
そのどれについても分け隔てせず、徹してやる。それが遊戯三昧ということです。
(中略)
徹してやるとは、やることを楽しむ、といってもいいでしょう。
楽しいことをやるのではなく、やることを楽しむ。

●幕府の剣術指南役をつとめた柳生但馬守が、臨済宗の名僧、沢庵和尚に
「剣の極意とは何か」と尋ねたことがあるそうです。和尚はこう答えました。
「心をどこにも置かないことだ」
(中略)
剣術で相手の小手を打とうとすれば、心が小手にとどまるわけです。
すると、相手の胴に隙があっても見えないし、反対にこちらに隙が生まれる。
心をどこにもとどめず、自由に遊ばせておいたら、あるがままが見えるし、構
えも万全になる、というのが、和尚のいわんとした”極意”です。

●禅では、人は人であるだけで仏と一体なのだ、仏性を得るために何事かをする
必要などないのだ、という教えを、「無事」と呼んでいるのです。「無事是貴人」
という禅語もそのことをいっています。
大切なのは、仏と一体で生かされている自分を感じることだと思います。

●幕府執権・北条時頼に「仏性の心を歌に詠んでください」と請われ、詠んだのが、
次の一首です。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、すずしかりけり」
春夏秋冬、それぞれの自然の姿。いずれも、何をはからうこともせず、余分なもの
も足りないものもなく、ただそこにあらわれている。どれも違う姿だが、等しく
”清々しい”。その様子こそが、この歌の題である「本来の面目」、すなわち、
あらゆるものに備わっている仏性なのだ、と禅師は伝えたのでしょう。

●なぜか突然、自分がやっていることの意味がないように感じられる。それは、
周囲の環境に流されてしまい、自分の信念がぶれているから起きることです。
「水急不流月(みずきゅうにしてつきをながさず)」━━水がいくら急に
流れても、水面に映る月が流れることはない、という意味の禅語です。

●ただ坐るとは、何も求めないこと。
悟りを開く、意志を強くする、健康になる、知恵を磨く……。そんなものは
一切求めず、坐っていることさえ忘れ、心を空っぽにするのです。
(中略)
私たちは「目的のために何かをする」ことに慣れています。しかしそれは、裏
を返せば、何かを得ようとする目的がなければ、何もしないということです。
そうではなくて、ただ一つのことに打ち込んでみるのが禅の精神です。
目的もなく、心を空っぽにすることで、感じること、見えるものがあるはずです。

●ものごとに取り組むときには、どこかで下心がうごめくもの。
(中略)
ああでもないこうでもないと、こねくり回すわけですが、それが逆に、集中させ
るべき力を分散させてしまうのです。
頭で十分に考え、その上で夢中で現場に取り組んだときこそ、終わってみると力
を存分に出しきれた、という結果になる。

●牛乳(頭乳羹ずにゅうこう)を精製していくと、順に”乳””酪””生酥(しょ
うそ)””熟酥””醍醐”というものになります。これを五味といいますが、順
を追うにしたがって、質も味わいもすぐれたものになっていくのです。
(中略)
熟成速度はそれぞれ違っていても、歩みをとめなければ、皆”醍醐”に向って生
きていることになるのです。

●「災難に逢う時節は災難に逢うがよく候」は、良寛さんの言葉です。
(中略)
苦境も同じで、逃れようがないのに逃れようとするから、苦しくなるのです。



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