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第127回 『いい人ぶらずに生きてみよう』千 玄室 著 集英社新書

■■ 所感 ■■

著者は千利休の子孫…
茶道裏千家第15代家元です。

今まで”一芸に秀でている方”の本でも、スポーツ関係は読んできました
が、伝統文化の方などは読むのが初めてでした。

読んだ感想は…
すごく心を動かされました。

題名の”いい人ぶらずに”というのが、本の中から伝わってきます。

人間の欲、弱さなども認めて…あるがままの飾らない著者の言葉がと
ても身に染みる本でした。
これを自分自身どう行動に移していくか…これが今後の課題と思いま
すが、これも”頭”だなと感じてしまうところです。

難しい言葉ではないし、理解はできるけど、でも「難しい」そんなことを
感じる本でした。ぜひ皆さんにもお読みいただきたいと思う本です。
5月14日発行だったようですので、書店に普通においてあると思います。




■■ 心に残った箇所 -本書より抜粋- ■■

●人は「いい人」であろうとする。
  けれど、たいていの人はここで決定的な間違いを犯して、「いい人になる」よりも
  「いい人に見られよう」としてしまう。つまり、「いい人ぶって」しまうのです。

 自分自身に向き合うのではなく、人からどう見られるのかばかりを気にかける。
  だから、辛くなる。本当はそうではないのに、無理やり「いい人」の枠に自分を
  はめ込もうとすれば、無理が生じて当然です。

●価値観の基準を周囲ではなく自分自身の中に定める。
  それは、時に誤解を受けることもあれば、非難されることもあるでしょう。
  けれど、ちまちまと人の目を気にして、自分をつくろって生きていくしんどさと
  比べたとき、さて、どちらが勝ちのある、そして自分自身が本当の意味で楽に
  なれる生き方なのか。答えは、言うまでもありません。

●母は強い。
  一生懸命に育てた子を戦争に送り出す、耐え難いほどのその哀しさや切なさを
  ぐっと飲み込んで受け入れる。その強さには、同じだけの弱さが秘められている。
  だからこそ、母は強いのです。

●茶室の中では、勝った国も負けた国もない。
  身分が高かろうが低かろうが、主人だろうが家来だろうが、
  そこで一碗の茶を前にしたときは人として平等である(後略)

●世界中を飛び回ってきて、つくづく思うのは、国や人種の違いはあっても、人は
  同じだということです。同じひとつの命。
 
  ところがおもしろいことに、そうした個人が集まってひとつの集団となり国となると、
  そこにはあきらかに国民性の違いというものが現れてきます。
  そして、日本人というのはつくづくお人よしな国民だな、と思うのです。

●ものごとというのは、じたばたしたり、あせってやきもきしてみたところで、
  動かないときは動かない。けれど動くときは、自分の力を超えたところで、ふーっと
  一気に動き出すものなんですね。これが機運ということだと、(後略)

●唐時代の瑞巌師彦和尚が日々自らを戒めた言葉です。
  自分自身に「主人公よ」と呼びかけては、「惺惺著(せいせいじゃく)」、おい、
  しっかりと目覚めているか?「*(だく)」、はい、しっかり目覚めています!
  と自問自答したといいます。

 人は誰もが自分自身にとっての主人公です。
  けれど、時に迷い、時に自分を見失う。だからこそ、常に自分自身に呼びかけ、
  それに答えて、本来の自分、自分自身のあるべき場所をしかと見つめ、確立すること
  が大事なのです。
  (*”だく”が文字化けしている可能性がありますので…”口へん”に”若”です)

●鈴木大拙先生がなさったスピーチで、いまでも印象に残っているのが、芭蕉の句に
  ついてのお話です。
  古池や蛙飛び込む水の音
  これは禅の「空」なんだよ、と先生はおっしゃった。古い池があって、そこに蛙が
  飛び込んでポチャンという音がした。そういう目の前のことだけを語っているようで
  ありながら、実は「空」を描いているんですよ、と。

 蛙飛び込む水の音、という音にみんな気をとられてしまいがちだけれど、芭蕉が本当
  に描こうとしたのは、音のない音。
  これが聞けなければ駄目なんだ。音を描くことで、逆に永遠の、絶対的な空白が生まれ
  るのだ、と。

●禅やら何やらを学んで私たちは悟り切ったような顔をしているけれど、実際は悟れてい
  ないんですよ。どんな偉いお坊さんにしたってそうだと思います。
  生きている限り、本当の無なんてない。自分が存在している以上、有なのです。
  そして、有がなかったら無だってない。

 つまり、いくら考えてみたところで、人は生まれてしまったからには死ななきゃならない。
  ならば、その逃れようのない苦しみから逃げようとあがくのではなく、いつか死ぬという
  宿命もひっくるめて受け入れて、いまをありのままに生きるしかない、
  そういうことなんじゃないでしょうか。

●伝統を受け継いでいくということも、同じ。
  いまあるものだけが正しいと思い込んで頑なに守っているだけでは、未来はありません。
  未来へと大きくつなげていくためには、自分たちとは違うものを認め、受け入れ、
  その上で自分自身が立つべき場所を定めることが必要なのです。

●私の家の先祖である利休様が、こう言っております。
  「叶うはよし、叶いたがるは悪しし」
  何かを成し遂げたいと思ったとき、そのために努力をして、結果として願いが叶うのは
  大事なこと。けれど、小手先のことに気を取られて、ろくな努力もせず、ただ叶えたい、
  叶えたいという気持ちばかりが先走ってしまうのはよくない、ということです。

 叶う、というのは自然。あるがままを受け入れることで、結果、上手くいく。

 反対に、叶えたいという意識が強いと、こうしたほうがいいかな、ああしたほうがよいかな、
  といろいろ考えて迷いが生じる。そうして、上手くいくはずのものも上手くいかなくなって
  しまう、ということです。
  何事も、作為があっては駄目。すっと、自然に、叶うがよし。

●このお茶をあなたにさしあげたい、と思って、一生懸命に点てる。
  その思いが上手下手を越えて、かけがえのないものとなる。あなたのために。
  あなたに一番おいしいお茶を点て、あなたに喜んでもらう。
  そのためにいろいろと工夫をする。それが私の喜びになる。

 ただし、上手に点てようとするのはただの「思い過ごし」。これは駄目です。
  うわすべりじゃ駄目なのです。
  思いを込める。そこに心をぶつけ、込めることが大事。

●人と人の関係は、礼に始まって礼に終わるもの。それが人間としての折り目けじめです。

●数え切れないほどある行事のひとつひとつ、そのやり方はそれぞれ違います。
  マニュアルなどないのです。以心伝心、教外別伝、不立文字、すべてがそんな世界。
  母の言葉どおり、父の背中を見て、父のすることをただ見て、覚えていくしかないのです。

●異文化の影響を受けることは決して悪いことではありませんし、むしろ見識を広めるためには
  大切なことといえるでしょう。けれど、いろんなものを受け入れて咀嚼するためには、自分の
  中に確固とした核がないことには、ふにゃふにゃとして根っこのない、どっちつかずの人間に
  なってしまいます。
  (中略)
  己を知ること。
  日本人が日本人として胸を張って生きていくためにいまこそすべきことは、自分の根っこたる
  ものがどこにあるのかをしっかりと知ることです。

●しっかりとした自分自身の基準をもつことは、物差しを手に入れるようなものなのです。
 
  人は未知なるものに憧れ、心惹かれるものです。
  しかしその憧れに近づきその本質を知るためには、まずは徹底的に己を知ること。
  禅では、そのことを「看脚下」という言葉で表現します。

 お寺の玄関などに、「看脚下」と書かれた紙が張られていることがあります。
  これは、一見すると、脱いだ履物をちゃんとそろえなさいよ、という注意書きのようですが、
  一歩踏み込んで「自分自身の足元を見てごらん、ふらついてはいないかな?」、
  さらに一歩踏み込んで「あなたの根っこはどこにある?」と語りかけているのです。
  実に、奥が深い。

 大樹は、土の下で枝に負けないだけの根っこを張っているものです。
  同じように、ちゃんと自分の足元を見据えて立っている人間は、どんなに大きく手を伸ばしても、
  決してふらつくことはないのです。

●普通に生活をしていると忘れがちですが、私たちは「生かされている」のです。そのことにもっと
  感謝しなければいけません。
  生きているということは、それだけでありがたいこと。本当に尊いことです。生きているから愚痴
  も言えるし、嫌味も言える。死んだら、なんにもできません。

 よく自分は運が悪いからと言う人がいるけれど、そういう人に限って、誰かが手をさしのべてくれ
  るのを待っているだけで、自分から動かない。生きている、生かしてもらっているということへの
  感謝の気持ちがないのです。
  いま生きているということは、それだけでものすごい強運なことなのです。

●人は誰もが、何か目的をもって生まれてくるといいます。
  私がよく口にする「分」というのも同じことで、人にはそれぞれの役目があって、
  この世でまったく無用な人なんて、ひとりもいません。

●この頃の人は、なまじ半端な知識とか知恵とかをもって、これぐらいならできるだろうと、
  あらかじめ予測をつけてから行動する傾向にあります。

●何かを選ぶときには、そりゃあ、いろいろと考えます。
  当然のことです。その際、いまある事実や現実を材料にして選ぶべきであるのに、自分の勝手な
  想像まで比較や判断の材料にしてしまうから、こんなはずじゃなかったということになるのでは
  ありませんか。

●己の道を描く。
  そこに上手下手はありません。どんな絵が描けるのかも分かりません。
  描いている間は、それがどう評価されるかなんて気にしてはいけない。評価というのはできあがって
  初めてされるものであって、初めから評価される絵を描こうなんて、実におこがましいことです。

 頭だけが発達して、心がそれに伴っていかない。
  だから想像したとおりにことが進まないと、へこたれて、迷路にはまって動けなくなる。

●自分がなんの目的をもって生まれてきたのか。
  それは最後の最後、人生を全うした後に分かることです。
  なんだろう、なんだろうと考えて迷ったところで、答えが見つかるものではありません。
  ならば、今日という日、いまという現実と正面から向き合って、その瞬間瞬間を生き抜いていこう
  ではありませんか。

●朝起きたら、まず鏡を見ます。そうして鏡の中の自分に、おはよう、やあ、元気か、と
  声をかけます。
  元気がないと思ったときは、何をしょぼくれてるんだ、元気を出し、と言う。
  そうすると今日も一日、頑張ろうという気持ちになれるのです。
  (中略)
  鏡の中に、人相がよくなくなっている自分を見つけたら、それは心に余裕がない証拠。
  あれこれと考えをめぐらせすぎて、かんじがらめになって、外側から自分を見ることができなく
  なっている状態です。

●人間はついつい他人と自分を比べてものごとを考えるもの。
  あの人は上手くいっているのに、なんで自分は駄目なんだろう、なんで自分だけが、と。
  そう思ったら、負けなのです。

 負けというのは、相手に対してではありませんよ。自分自身に対して負けなのです。
  ひがんだり、うらやましがったりしたところで、悪くなることはあっても何もよくはなりせん。

●人間なんて、みんな弱くて、ずるくて、悪いもの。だから少しでもよくなろうと努力をするの
  じゃないですか。生きるってことは、そういうことです。
  なのに、みんな忘れている。己が己が、俺が俺が、私が私が、そんなことばかり考えて、そのくせ、
  楽なほうへ、楽なほうへ行きたがる。人の干渉を受けるのが嫌だからとか、面倒な思いをするのは
  嫌だからと、現実から逃げている。
  気力はないのにプライドだけはあって、そのくせ自分で何かを得るための行動はしない。最悪です。

●人の目や気持ちは、どうしても派手なことに集まります。
  画期的なもの、意外性のあるもの、そういうものがもてはやされがちです。
  けれど、そこに注目が集まるのは一時のことでしかない。
  なぜなら、そこには根っこがないからです。

 本物の創造は、その根っこまで遡って、すべてを知った上で初めて生まれるもの。
  それをひとりでなく、何代にもわたって受け継ぎながらやってきたのが伝統の世界なのです。

 

●ニーズばかりを追いかけてころころ変わっていったら、すぐに飽きられるのがオチです。
  たしかにニーズは大切ではあるけれど、常に根底には、不動のしっかりしたものをもっていなければ
  駄目なのですね。
  自分を本当に生かしたいのなら、目先のニーズに迎合するのではなく、たとえ遠回りのように思えて
  も自分自身の深いところに分け入って、そこからひとつひとつ積み重ねていくことが必要です。

●食とは本来、分相応のものであるべきなのです。
  『南方録』に書かれている利休様の言葉どおり、
  「食事は飢えぬほどにて足りることなり」。
  腹は満たすものではなく、空かぬ程度にいただく。それで十分なのです。

●ほかと比べて、自分ばかりが悲しいとか、苦しいとか。
  自分だけがなぜ、という思いに人はとらわれてしまう。
  とかく人間は、自分を自分でつぶしていくことが多い。良きにつけ、悪しきにつけ、自分を見失う。
  そして、”我”という自分本位のわがままをもって他に当たる。
  いけないことであるのはわかっていても、なんでもかんでも悪いことを他の故にしてしまう。
  小さな壷の中に入ってしまって、前後を見失い、自己を見失うのである。
 
  だが、生きているからにはしっかりと自己を見つめ、自己のなんたるかを認識することから出発
  しなければならない。
  勇気をもって周囲を見回してみよう。すると、自然とともに存在している自分を自覚するだろう。
  花を賞で(めで)、樹木の緑に触れるとき、私は思う。「生きていてよかった!」と。

●私は日々、自分自身にこう言い聞かせている。
  「できることは、私に与えられた茶を通じて平和の実現である。利休様の教えを守り、
  日本の伝統文化の茶道の心を、あまねく人に伝えよう。そのための一滴の茶の湯になろう」。
  そう心に決めたとき、ようやくにして私は「いい人ぶる」自分と決別することができたに違いない。
  「人類の平和のため、一滴の茶となる」。
  これが、私を生かしていただいている原動力なのである。



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