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本から元気をもらおう!本気モード

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第110回 『未来を拓く君たちへ』なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか PHP文庫

■■ 所感 ■■

最近本を読んでいて思いますが、引き寄せているんだろうなと感じます。
読む本のほとんどが、今まで師匠や諸先輩方よりお聞きしてきたことのが表現を変えて書いてある書籍です。

その度に、まだまだ「知っている」レベルで、「実践している」「できている」レベルではないから、繰り返し出会うのだな…と感じます。

素敵な言葉の数々は添付ファイルを読んでいただくに限りますが、いくつかコメントを…。

●人生において、「成功」は約束されていない。
 しかし、
 人生において、「成長」は約束されている。
⇒そうあって欲しい…、そうありたいと思います。 そうあるためにも、もっと自分への甘えをなくしていかなくてはと思う今日この頃です。自分の中の「まだまだ」のレベルを上げていきます。

●ある時期、イチロー選手が、ライバル・チームのピッチャーに何試合にもわたって抑え込まれ、ヒットが打てなかった。そのことについて、インタビューアーから聞かれた。 「あのピッチャーは、あなたの苦手なピッチャーですか」その問いに対して、イチロー選手は、こう答えた。
 「いや、そうではありません。
 彼は、僕の可能性を引き出してくれる、素晴らしいピッチャーです。
 だから、僕も腕を磨いて、彼の可能性を引き出せる、素晴らしいバッターになりたいですね」
⇒以前、メンタルトレーナーの西田文郎氏が 「人間には2種類しかない。肯定的錯覚で生きている人と、否定的
 錯覚で生きている人と…。肯定的錯覚で生きている人は、何かあった時に、”可能性”から入るが、否定的錯覚の人は”問題”から入る」と、こんな感じのことをおっしゃっていました。
 改めて、今回本を読んで、今現状にやや悩み気味の部分があるの…
 否定的錯覚で生きてしまっているなと反省しました。
この本では、人生のことを山登りに喩えている箇所がありますが、思えば、昨年富士山に登った際、ほぼ全部登りで、楽な箇所はありませんでした。
登る=成長するとは、自分自身に付加をかけていくことなので、もっと今を楽しんでいけるように、心と体を磨く、鍛えていきたいと思います。

そして、受身で”付加がかかってしまっている”状態ではなく、自ら付加を創りだせるようにもっとしていこう… 小さな無理を積み重ねていこう…

そんなことを感じさせてもらいました。

そして…

●我々一人ひとりが変わらなければ、世界は変わらない。
 我々一人ひとりが成長しなければ、人類は成長しない。

自分の成長が世界の、人類のちょっとだけでも成長に寄与できたら素敵だなと思います



■■ 心に残った箇所 -本書より抜粋- ■■

●「志」とは、何か。
  一言で述べておこう。

 与えられた人生において、己のためだけでなく、多くに人々のために、そして、世の中のために、大切な何かを成し遂げようとの決意。

●「悔いの無い人生」を生きるとは、何か。
  (中略)
  フリードリッヒ・ニーチェ。ドイツの哲学者だ。
  (中略)
  この哲学者が、素晴らしい思想を残している。「永劫回帰」の思想だ。
  (中略)
  この思想の真髄は、一つの素朴な物語として語ることができる。
  (中略)

 君が、この一回かぎりの人生において、 様々な人々と巡り会い、様々な運命が与えられ、その人生を精一杯に生きていく。そして、いつか、その人生の終わりがやってくる。
  その人生の最期のとき、不思議な人物が、君の側に現れる。そして、その人物は、
  君に対して、こう問いかける。
  「いま、一つの人生を終えようとしている、おまえ。もし、おまえが、この人生とはまったく同じ人生を、もう一度生きよと問われたならば、然り、と答えることができるか。 
  いや、さらに、もし、おまえがこの人生とまったく同じ人生を、何度も、何度も、永遠に生きよと問われたならば、然り、と答えることができるか。

 その永劫に回帰する人生を、喜んで受け入れることができるか」

●「悔いの無い人生」とは何か。
  それは、苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことなのだろうか。
  (中略)
  そうではないだろう。
  (中略)
  では、「悔いの無い人生」とは何か。それは、苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、 挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことではない。それは、こうした出来事を、
  次の言葉で語れる人生のことだろう。
  「それがあったからこそ」この言葉で語れる人生のことだろう。

●もし、我々が
  人生において与えられる、すべての「不運に見える出来事」を、こうした意味で「幸運な出来事」に変えていくことができるなら、そのとき、我々の人生は、「悔いの無い人生」になるのだろう。

●どうすれば、我々は、人生の苦労や失敗や挫折を振り返るとき、「それがあったからこそ」と語ることができるのだろうか。
  (中略)
  「成長」その言葉だ。

●人生において、「成功」は約束されていない。人生において、描いた「夢」が破れ、
  抱いた「願い」が実現しないことはいくらでもある。

 しかし、誤解をしないでもらいたい。決して、誤解をしないでもらいたい。
  そのことをもって、「夢」を描き、「願い」を抱いて歩むことを否定しているのではない。そのことの意味を、否定しているのではない。
  決して、そうではない。
  我々は、やはり、大きな「夢」を描き、深い「願い」を抱いて歩まなければならない。 その「夢」の実現を求め、「願い」の実現を求め、「成功」を求めて歩まなければならない。
  それは、なぜか。
  「成長」できるからだ。
  「夢」の実現に向けて思いを込めて歩むとき、
  「願い」の実現に向けて力を尽くして歩むとき、
  「成功」に向けて全身全霊での努力を続けるとき、
  我々は、一人の人間として、大きく「成長」できる。
  (中略)
  人生において、「成功」は約束されていない。
  しかし、
  人生において、「成長」は約束されている。

●ある時期、イチロー選手が、ライバル・チームのピッチャーに何試合にもわたって抑え込まれ、ヒットが打てなかった。そのことについて、インタビューアーから聞かれた。
  「あのピッチャーは、あなたの苦手なピッチャーですか」その問いに対して、イチロー選手は、こう答えた。

 「いや、そうではありません。
  彼は、僕の可能性を引き出してくれる、素晴らしいピッチャーです。
  だから、僕も腕を磨いて、
  彼の可能性を引き出せる、素晴らしいバッターになりたいですね」
(中略)
「できることなら避けて通りたい苦しい不毛な出来事」ではない。それは、「自分の可能性を引き出してくれる素晴らしい出来事」だ。
(中略)
  君の人生の中で、苦労や困難がやってきたなら、それは君の人間としての可能性を引き出してくれる素晴らしい機会だ。

●大切な心構えが、もう一つある。
  (中略)
  「声」に耳を傾けること。
  (中略)
  出来事が語りかける「声」に、耳を傾けてほしい。
  (中略)
  「声」に耳を傾けるとは、その人生の出来事が投げかけてくる「意味」を考えることだ。

●「志」を心に抱くとき、我々は、人生が語りかける「声」に虚心に耳を傾け、
  その「意味」を深く理解することができるだろう。
  (中略)
  人生の試練において「志」を持つ者だけに聞こえてくる「声」がある。「志」を持つ者だけが理解できる「意味」がある。

●「志」を抱いて生きる人間は、たとえ、苦労や失敗や挫折に直面しても、人生が語りかける「声」に耳を傾け、その「意味」を理解し、ひたすらに「人間成長」の道を歩んでいくことができる。

●我々が「死」を忘れ、「不安」と「緊張」から逃れた瞬間に、やってくるのは、不思議なことに、「安心」と「平穏」ではない。「安逸」と「弛緩」がやってくる。

●「未来」において何を成し遂げるか、その「志」を定め、その「未来」を見つめながら、いま「この一瞬」を、全力を込めて生きなければならない。そのとき、いま「この一瞬」を、我々は、生き切ることができるだろう。

●我々が「志」を抱こうとするとき、ときおり陥ってしまう、一つの落とし穴がある。
  それは、何か。「未来」に心を奪われる。その落とし穴だ。
  「志」とは、「未来」に成し遂げるべき何かを見つめること。
  しかし、「未来を見つめる」ことと、「未来に心を奪われる」ことは、まったく違うことだ。
  「志」とは、未来を定かに見つめながらも、
  「心」は、この現在、いまこの瞬間にある。

●我々が「志」を抱くとき、持つべき覚悟は、何か。一つの言葉が、その覚悟を教えてくれる。
  (中略)
  過去は無い。
  未来も無い。
  あるのは、永遠に続く、いまだけだ。いまを生きよ。いまを生き切れ。

●人は、「使命感」を持って生きるとき、 不思議なことに、その人の周りに「香り」が生まれる。 その「使命感」から醸し出される「香り」が生まれる。

●「義務」という言葉が、「受動的」で「消極的」な意味を超え、「能動的」で「積極的」な意味へと深まっていくとき、そこには、いかなる言葉が生まれるのか。
  「使命」
  その言葉が生まれる。
  「義務」という言葉が深まっていくとき、「使命」という言葉が生まれる。
  「私は、そうしなければならない」という思いが深まっていくとき、「そうすることが、私の道である」という思いが生まれる。

●どのような仕事をしているか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではない。
  その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「仕事の価値」を定める。

●人生で巡り会った人を大切にするとは、その巡り会いによって、互いに人間として成長するということ。
  巡り会いによって与えられた時間、その時間を共に過ごすことによって、互いに人間として成長するということ。
  それが、「人を大切にする」ということの本当の意味だ。だから、人生で巡り会った人と、ときに、心の摩擦があっても良い。ときに、心の衝突があっても良い。

●どうすれば、人生で巡り会った人と、互いに人間として成長していくことができるのか。
  (中略)
  「正対」すること。
  (中略)
  「正対」するとは、何か。相手の心に、正面から向き合うことだ。
  (中略)
  決して、「斜め」に構えず、相手の心に対して、こちらの素直な心で、正面から向き合うことだ。正直に、誠実に、真剣に、相手の心に、接することだ。
  (中略)
  相手に対して、心で「正対」して話をするとき、相手との人間関係がおかしくなることは、決してない。

●なぜ、我々は、大人になると、「成長」することを忘れてしまうのだろうか。
  それには、一つの理由がある。
  「小成に安んじる」それが、一つの理由だ。
  小さな成功と、小さな成長に満足してしまう。山登りに喩えれば、山の中腹まで登っただけで、満足してしまうのだ。

●多くの人々の死を看取った「終末医療」の医師、キューブラー・ロスが、素晴らしい言葉を残している。 
  「成長」の最後の段階としての「死」
  Death; The Final Stage of the Growth.
  その言葉だ。
  死とは、人生の終わりではない。 死とは、成長の最後の段階である。
  (中略)
  命尽きるその日まで、どこまでも成長していきたい。そして、素晴らしい「最後の成長」を遂げたい。

●我々一人ひとりが変わらなければ、世界は変わらない。
  我々一人ひとりが成長しなければ、人類は成長しない。

●もし、君の人生で、苦しいときがあったら、思い出してほしい。
  その苦労や困難。
  その失敗や敗北。
  その挫折や喪失。
  それらのすべてが、
  君の素晴らしい成長の糧になる。

 「志」を抱いて歩むかぎり、それは、かならず、素晴らしい成長の糧になる。

●「志」とは、何か。
  一言で述べておこう。

 与えられた人生において、己のためだけでなく、多くに人々のために、そして、世の中のために、大切な何かを成し遂げようとの決意。

●「悔いの無い人生」を生きるとは、何か。
  (中略)
  フリードリッヒ・ニーチェ。ドイツの哲学者だ。
  (中略)
  この哲学者が、素晴らしい思想を残している。「永劫回帰」の思想だ。
  (中略)
  この思想の真髄は、一つの素朴な物語として語ることができる。
  (中略)

 君が、この一回かぎりの人生において、 様々な人々と巡り会い、様々な運命が与えられ、その人生を精一杯に生きていく。そして、いつか、その人生の終わりがやってくる。
  その人生の最期のとき、不思議な人物が、君の側に現れる。そして、その人物は、
  君に対して、こう問いかける。
  「いま、一つの人生を終えようとしている、おまえ。もし、おまえが、この人生とはまったく同じ人生を、もう一度生きよと問われたならば、然り、と答えることができるか。 
  いや、さらに、もし、おまえがこの人生とまったく同じ人生を、何度も、何度も、永遠に生きよと問われたならば、然り、と答えることができるか。

 その永劫に回帰する人生を、喜んで受け入れることができるか」

●「悔いの無い人生」とは何か。
  それは、苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことなのだろうか。
  (中略)
  そうではないだろう。
  (中略)
  では、「悔いの無い人生」とは何か。それは、苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、 挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことではない。それは、こうした出来事を、
  次の言葉で語れる人生のことだろう。
  「それがあったからこそ」この言葉で語れる人生のことだろう。

●もし、我々が
  人生において与えられる、すべての「不運に見える出来事」を、こうした意味で「幸運な出来事」に変えていくことができるなら、そのとき、我々の人生は、「悔いの無い人生」になるのだろう。

●どうすれば、我々は、人生の苦労や失敗や挫折を振り返るとき、「それがあったからこそ」と語ることができるのだろうか。
  (中略)
  「成長」その言葉だ。

●人生において、「成功」は約束されていない。人生において、描いた「夢」が破れ、
  抱いた「願い」が実現しないことはいくらでもある。

 しかし、誤解をしないでもらいたい。決して、誤解をしないでもらいたい。
  そのことをもって、「夢」を描き、「願い」を抱いて歩むことを否定しているのではない。そのことの意味を、否定しているのではない。
  決して、そうではない。
  我々は、やはり、大きな「夢」を描き、深い「願い」を抱いて歩まなければならない。 その「夢」の実現を求め、「願い」の実現を求め、「成功」を求めて歩まなければならない。
  それは、なぜか。
  「成長」できるからだ。
  「夢」の実現に向けて思いを込めて歩むとき、
  「願い」の実現に向けて力を尽くして歩むとき、
  「成功」に向けて全身全霊での努力を続けるとき、
  我々は、一人の人間として、大きく「成長」できる。
  (中略)
  人生において、「成功」は約束されていない。
  しかし、
  人生において、「成長」は約束されている。

●ある時期、イチロー選手が、ライバル・チームのピッチャーに何試合にもわたって抑え込まれ、ヒットが打てなかった。そのことについて、インタビューアーから聞かれた。
  「あのピッチャーは、あなたの苦手なピッチャーですか」その問いに対して、イチロー選手は、こう答えた。

 「いや、そうではありません。
  彼は、僕の可能性を引き出してくれる、素晴らしいピッチャーです。
  だから、僕も腕を磨いて、
  彼の可能性を引き出せる、素晴らしいバッターになりたいですね」
(中略)
「できることなら避けて通りたい苦しい不毛な出来事」ではない。それは、「自分の可能性を引き出してくれる素晴らしい出来事」だ。
(中略)
  君の人生の中で、苦労や困難がやってきたなら、それは君の人間としての可能性を引き出してくれる素晴らしい機会だ。

●大切な心構えが、もう一つある。
  (中略)
  「声」に耳を傾けること。
  (中略)
  出来事が語りかける「声」に、耳を傾けてほしい。
  (中略)
  「声」に耳を傾けるとは、その人生の出来事が投げかけてくる「意味」を考えることだ。

●「志」を心に抱くとき、我々は、人生が語りかける「声」に虚心に耳を傾け、
  その「意味」を深く理解することができるだろう。
  (中略)
  人生の試練において「志」を持つ者だけに聞こえてくる「声」がある。「志」を持つ者だけが理解できる「意味」がある。

●「志」を抱いて生きる人間は、たとえ、苦労や失敗や挫折に直面しても、人生が語りかける「声」に耳を傾け、その「意味」を理解し、ひたすらに「人間成長」の道を歩んでいくことができる。

●我々が「死」を忘れ、「不安」と「緊張」から逃れた瞬間に、やってくるのは、不思議なことに、「安心」と「平穏」ではない。「安逸」と「弛緩」がやってくる。

●「未来」において何を成し遂げるか、その「志」を定め、その「未来」を見つめながら、いま「この一瞬」を、全力を込めて生きなければならない。そのとき、いま「この一瞬」を、我々は、生き切ることができるだろう。

●我々が「志」を抱こうとするとき、ときおり陥ってしまう、一つの落とし穴がある。
  それは、何か。「未来」に心を奪われる。その落とし穴だ。
  「志」とは、「未来」に成し遂げるべき何かを見つめること。
  しかし、「未来を見つめる」ことと、「未来に心を奪われる」ことは、まったく違うことだ。
  「志」とは、未来を定かに見つめながらも、
  「心」は、この現在、いまこの瞬間にある。

●我々が「志」を抱くとき、持つべき覚悟は、何か。一つの言葉が、その覚悟を教えてくれる。
  (中略)
  過去は無い。
  未来も無い。
  あるのは、永遠に続く、いまだけだ。いまを生きよ。いまを生き切れ。

●人は、「使命感」を持って生きるとき、 不思議なことに、その人の周りに「香り」が生まれる。 その「使命感」から醸し出される「香り」が生まれる。

●「義務」という言葉が、「受動的」で「消極的」な意味を超え、「能動的」で「積極的」な意味へと深まっていくとき、そこには、いかなる言葉が生まれるのか。
  「使命」
  その言葉が生まれる。
  「義務」という言葉が深まっていくとき、「使命」という言葉が生まれる。
  「私は、そうしなければならない」という思いが深まっていくとき、「そうすることが、私の道である」という思いが生まれる。

●どのような仕事をしているか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではない。
  その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「仕事の価値」を定める。

●人生で巡り会った人を大切にするとは、その巡り会いによって、互いに人間として成長するということ。
  巡り会いによって与えられた時間、その時間を共に過ごすことによって、互いに人間として成長するということ。
  それが、「人を大切にする」ということの本当の意味だ。だから、人生で巡り会った人と、ときに、心の摩擦があっても良い。ときに、心の衝突があっても良い。

●どうすれば、人生で巡り会った人と、互いに人間として成長していくことができるのか。
  (中略)
  「正対」すること。
  (中略)
  「正対」するとは、何か。相手の心に、正面から向き合うことだ。
  (中略)
  決して、「斜め」に構えず、相手の心に対して、こちらの素直な心で、正面から向き合うことだ。正直に、誠実に、真剣に、相手の心に、接することだ。
  (中略)
  相手に対して、心で「正対」して話をするとき、相手との人間関係がおかしくなることは、決してない。

●なぜ、我々は、大人になると、「成長」することを忘れてしまうのだろうか。
  それには、一つの理由がある。
  「小成に安んじる」それが、一つの理由だ。
  小さな成功と、小さな成長に満足してしまう。山登りに喩えれば、山の中腹まで登っただけで、満足してしまうのだ。

●多くの人々の死を看取った「終末医療」の医師、キューブラー・ロスが、素晴らしい言葉を残している。 
  「成長」の最後の段階としての「死」
  Death; The Final Stage of the Growth.
  その言葉だ。
  死とは、人生の終わりではない。 死とは、成長の最後の段階である。
  (中略)
  命尽きるその日まで、どこまでも成長していきたい。そして、素晴らしい「最後の成長」を遂げたい。

●我々一人ひとりが変わらなければ、世界は変わらない。
  我々一人ひとりが成長しなければ、人類は成長しない。

●もし、君の人生で、苦しいときがあったら、思い出してほしい。
  その苦労や困難。
  その失敗や敗北。
  その挫折や喪失。
  それらのすべてが、
  君の素晴らしい成長の糧になる。

 「志」を抱いて歩むかぎり、それは、かならず、素晴らしい成長の糧になる。

●「志」とは、何か。
  一言で述べておこう。

 与えられた人生において、己のためだけでなく、多くに人々のために、そして、世の中のために、大切な何かを成し遂げようとの決意。

●「悔いの無い人生」を生きるとは、何か。
  (中略)
  フリードリッヒ・ニーチェ。ドイツの哲学者だ。
  (中略)
  この哲学者が、素晴らしい思想を残している。「永劫回帰」の思想だ。
  (中略)
  この思想の真髄は、一つの素朴な物語として語ることができる。
  (中略)

 君が、この一回かぎりの人生において、 様々な人々と巡り会い、様々な運命が与えられ、その人生を精一杯に生きていく。そして、いつか、その人生の終わりがやってくる。
  その人生の最期のとき、不思議な人物が、君の側に現れる。そして、その人物は、
  君に対して、こう問いかける。
  「いま、一つの人生を終えようとしている、おまえ。もし、おまえが、この人生とはまったく同じ人生を、もう一度生きよと問われたならば、然り、と答えることができるか。 
  いや、さらに、もし、おまえがこの人生とまったく同じ人生を、何度も、何度も、永遠に生きよと問われたならば、然り、と答えることができるか。

 その永劫に回帰する人生を、喜んで受け入れることができるか」

●「悔いの無い人生」とは何か。
  それは、苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことなのだろうか。
  (中略)
  そうではないだろう。
  (中略)
  では、「悔いの無い人生」とは何か。それは、苦労も困難も無く、失敗も敗北も無く、 挫折も喪失も無い、「完璧な人生」のことではない。それは、こうした出来事を、
  次の言葉で語れる人生のことだろう。
  「それがあったからこそ」この言葉で語れる人生のことだろう。

●もし、我々が
  人生において与えられる、すべての「不運に見える出来事」を、こうした意味で「幸運な出来事」に変えていくことができるなら、そのとき、我々の人生は、「悔いの無い人生」になるのだろう。

●どうすれば、我々は、人生の苦労や失敗や挫折を振り返るとき、「それがあったからこそ」と語ることができるのだろうか。
  (中略)
  「成長」その言葉だ。

●人生において、「成功」は約束されていない。人生において、描いた「夢」が破れ、
  抱いた「願い」が実現しないことはいくらでもある。

 しかし、誤解をしないでもらいたい。決して、誤解をしないでもらいたい。
  そのことをもって、「夢」を描き、「願い」を抱いて歩むことを否定しているのではない。そのことの意味を、否定しているのではない。
  決して、そうではない。
  我々は、やはり、大きな「夢」を描き、深い「願い」を抱いて歩まなければならない。 その「夢」の実現を求め、「願い」の実現を求め、「成功」を求めて歩まなければならない。
  それは、なぜか。
  「成長」できるからだ。
  「夢」の実現に向けて思いを込めて歩むとき、
  「願い」の実現に向けて力を尽くして歩むとき、
  「成功」に向けて全身全霊での努力を続けるとき、
  我々は、一人の人間として、大きく「成長」できる。
  (中略)
  人生において、「成功」は約束されていない。
  しかし、
  人生において、「成長」は約束されている。

●ある時期、イチロー選手が、ライバル・チームのピッチャーに何試合にもわたって抑え込まれ、ヒットが打てなかった。そのことについて、インタビューアーから聞かれた。
  「あのピッチャーは、あなたの苦手なピッチャーですか」その問いに対して、イチロー選手は、こう答えた。

 「いや、そうではありません。
  彼は、僕の可能性を引き出してくれる、素晴らしいピッチャーです。
  だから、僕も腕を磨いて、
  彼の可能性を引き出せる、素晴らしいバッターになりたいですね」
(中略)
「できることなら避けて通りたい苦しい不毛な出来事」ではない。それは、「自分の可能性を引き出してくれる素晴らしい出来事」だ。
(中略)
  君の人生の中で、苦労や困難がやってきたなら、それは君の人間としての可能性を引き出してくれる素晴らしい機会だ。

●大切な心構えが、もう一つある。
  (中略)
  「声」に耳を傾けること。
  (中略)
  出来事が語りかける「声」に、耳を傾けてほしい。
  (中略)
  「声」に耳を傾けるとは、その人生の出来事が投げかけてくる「意味」を考えることだ。

●「志」を心に抱くとき、我々は、人生が語りかける「声」に虚心に耳を傾け、
  その「意味」を深く理解することができるだろう。
  (中略)
  人生の試練において「志」を持つ者だけに聞こえてくる「声」がある。「志」を持つ者だけが理解できる「意味」がある。

●「志」を抱いて生きる人間は、たとえ、苦労や失敗や挫折に直面しても、人生が語りかける「声」に耳を傾け、その「意味」を理解し、ひたすらに「人間成長」の道を歩んでいくことができる。

●我々が「死」を忘れ、「不安」と「緊張」から逃れた瞬間に、やってくるのは、不思議なことに、「安心」と「平穏」ではない。「安逸」と「弛緩」がやってくる。

●「未来」において何を成し遂げるか、その「志」を定め、その「未来」を見つめながら、いま「この一瞬」を、全力を込めて生きなければならない。そのとき、いま「この一瞬」を、我々は、生き切ることができるだろう。

●我々が「志」を抱こうとするとき、ときおり陥ってしまう、一つの落とし穴がある。
  それは、何か。「未来」に心を奪われる。その落とし穴だ。
  「志」とは、「未来」に成し遂げるべき何かを見つめること。
  しかし、「未来を見つめる」ことと、「未来に心を奪われる」ことは、まったく違うことだ。
  「志」とは、未来を定かに見つめながらも、
  「心」は、この現在、いまこの瞬間にある。

●我々が「志」を抱くとき、持つべき覚悟は、何か。一つの言葉が、その覚悟を教えてくれる。
  (中略)
  過去は無い。
  未来も無い。
  あるのは、永遠に続く、いまだけだ。いまを生きよ。いまを生き切れ。

●人は、「使命感」を持って生きるとき、 不思議なことに、その人の周りに「香り」が生まれる。 その「使命感」から醸し出される「香り」が生まれる。

●「義務」という言葉が、「受動的」で「消極的」な意味を超え、「能動的」で「積極的」な意味へと深まっていくとき、そこには、いかなる言葉が生まれるのか。
  「使命」
  その言葉が生まれる。
  「義務」という言葉が深まっていくとき、「使命」という言葉が生まれる。
  「私は、そうしなければならない」という思いが深まっていくとき、「そうすることが、私の道である」という思いが生まれる。

●どのような仕事をしているか。それが、我々の「仕事の価値」を定めるのではない。
  その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「仕事の価値」を定める。

●人生で巡り会った人を大切にするとは、その巡り会いによって、互いに人間として成長するということ。
  巡り会いによって与えられた時間、その時間を共に過ごすことによって、互いに人間として成長するということ。
  それが、「人を大切にする」ということの本当の意味だ。だから、人生で巡り会った人と、ときに、心の摩擦があっても良い。ときに、心の衝突があっても良い。

●どうすれば、人生で巡り会った人と、互いに人間として成長していくことができるのか。
  (中略)
  「正対」すること。
  (中略)
  「正対」するとは、何か。相手の心に、正面から向き合うことだ。
  (中略)
  決して、「斜め」に構えず、相手の心に対して、こちらの素直な心で、正面から向き合うことだ。正直に、誠実に、真剣に、相手の心に、接することだ。
  (中略)
  相手に対して、心で「正対」して話をするとき、相手との人間関係がおかしくなることは、決してない。

●なぜ、我々は、大人になると、「成長」することを忘れてしまうのだろうか。
  それには、一つの理由がある。
  「小成に安んじる」それが、一つの理由だ。
  小さな成功と、小さな成長に満足してしまう。山登りに喩えれば、山の中腹まで登っただけで、満足してしまうのだ。

●多くの人々の死を看取った「終末医療」の医師、キューブラー・ロスが、素晴らしい言葉を残している。 
  「成長」の最後の段階としての「死」
  Death; The Final Stage of the Growth.
  その言葉だ。
  死とは、人生の終わりではない。 死とは、成長の最後の段階である。
  (中略)
  命尽きるその日まで、どこまでも成長していきたい。そして、素晴らしい「最後の成長」を遂げたい。

●我々一人ひとりが変わらなければ、世界は変わらない。
  我々一人ひとりが成長しなければ、人類は成長しない。

●もし、君の人生で、苦しいときがあったら、思い出してほしい。
  その苦労や困難。
  その失敗や敗北。
  その挫折や喪失。
  それらのすべてが、
  君の素晴らしい成長の糧になる。

 「志」を抱いて歩むかぎり、それは、かならず、素晴らしい成長の糧になる。


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